今日は大学院の課題を集中して行った。提出が目の前に迫りつつも、このようにブログを書いている。
先ほど読んだブログ
「[みんメル]は、まだ終わらない 続「みんなのメール」」に目が止まった。
タイトルは「キャリア」だった。私の職業柄ピピッーと無意識的に何かを感じ取った気配がする。
以下一部引用
ここ数日で、出会った人たちは
完全に飛びぬけていると思った。
しかも話をしたキャリア官僚も
システム会社の人も
30歳以上で40歳以下である。
世代を超えて、40歳ぐらいまでの
人々が、一気に日本をよくする運動を
起こしたら、それは、上の世代の
キャリアパワーで潰されるのだろうか?
今、日本は確実に地殻変動を起こし始めている
これが、地表まで出てくるまで、
あと、どれぐらいの時間とパワーが必要なのだろう。
僕は、こんな世の中の流れの中で、
どんなキャリアを持って
何ができる人に、いつなれるのだろうか?
私も40歳代の一人ですが、ここ10年が一番の踏ん張りどころであり、変動を起こすマントルになることが必要であると実感しました。
「今立ち上がらないで、どうする・・・」
この記事を拝読し、己の心の中で自分を奮い立たせる言葉が鳴り響きました。
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今何冊かの本を同時に読んでいます。
このブログでご紹介しました、ダイアローグも1回目ではなかなか理解できなかったので、2回目を読み終えるところです。
物理学者のボームの著書だけに難解なところもありました。
結局対話をするための準備として「自己観察」と「自己受容」は大切なことであると認識しました。
この本の内容を体得するのは本を読んだだけでは困難ですね。
ボームもクリシュナムルティと対談したこともあるそうですが、結構影響を受けている印象を受けました。
自己観察と自己受容について・・
この本(ダイアローグ)ではP70
敵意であれ、他のどんな感情でれ、自分の反応に気付くことが必要だ。・・・
中略
そうした感情はすべて、観察したものや保留状態にしたものの一部なのである。思考がどう働くかということが、あなたはもっとよくわかるようになるはずだ。
自分と他人を観察する、そして自分の感情を表出するのではなく保留する。
その時どのような思考が出てくるのか観察する・・・
結果自分の経験の裏打ちされている想定を打破し、まっさらな状態でダイアローグを行う準備ができる。
なかなか難しいですね。
コミュニティ・ファシリテーションでは自分の感情などを相手の中で見出して、無意識にある自分を発見し、統合する。
これはセルフプロセスワークですが、こちらもファシリテーションを行っている時に行うということは相当訓練が必要であると思います。
ファシリテーションやダイアローグも本格的に実行するには相当な訓練が要求されると思います。
ファシリテーターの思考や想定のみで形成するコミュニケーションの「場」であれば、そこには「クリエーティビティ」ではない想定範囲内の何かが出現されるということになるのでしょう。
想定外の創造性こそイノベーションに繋がります。
以下クリシュナムルティの教え(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より引用)
序
クリシュナムルティの教えの中心となる主題は「あるがままの全体的知覚」である。「全体的知覚」とは知覚している知覚者と知覚されている対象の間に分離がない純粋な知覚状態のことであり、人の全存在がそのような状態にあるときにのみ、自らの条件付けを解消する真理の知覚が起こるという。
クリシュナムルティは、「その状態を意図的な努力や訓練、または宗教団体や何かの組織に属することによっては引き起こすことはできない」と言う。
中略
自分が矮小な存在であることに耐えきれない精神(自我)はより大きな存在、民族や国家や神と自分を同一視しようとする。そして他人も自分と同じ信念を持つように強いる。しかしこのような大きな存在の正体は自我が投影した幻影に過ぎないため、人を結合させるどころか分離させるばかりである。クリシュナムルティは行為が観念のしもべとなることを激しく糾弾する。
時間
世界に争いをもたらす観念の正体とは何か。それは記憶と欲望だとクリシュナムルティはいう。過去の結果としての記憶、そして記憶に基づいて未来へ投影される欲望である。クリシュナムルティは時間を物理的時間と心理的時間に分け、心理的時間を否定する。物理的時間は事実であるため否定できない。事実は否定できないが、事実についての見解は否定できる。精神がつくりだす過去や未来といった時間の観念(心理的時間)は実在である今を犠牲にしようとする。
記憶は物事に対する固定的な反応パターンを形成し、いまあるものをありのままに捉える妨げとなる。不安や恐怖も反応パターンの虜になっている精神が生み出したものだという。恐怖とは「未知なるものへの恐れ」というより「既知なるものを失うことへの恐れ」だとクリシュナムルティは指摘する。時間を媒介として物事を見ることは破壊的作用をもたらす。死が恐いのは生を失うのが恐いからである。孤独も屈辱も自分が愛着しているもの、記憶として価値ありと思っているものを失うことへの恐れである。精神は失うことへの恐れから内部にも外部にも様々なものを蓄積しようとする。ところが蓄積したものはそれを失う恐怖を生む。かくして精神の活動は悪循環におちいる。新しい型を作ったり、古い型を強化したりしても型にはまっていることは変わらない。
精神活動内での時間観念を拒否するクリシュナムルティは未来への希望や努力すら裁断する。未来はあるべきものという観念にすぎず、あるがままのものの認識ではないからだ。時間を当てにするかぎり、つまり「いつかは」こうなってやろうと思うかぎりあるがままのものと向かい合うことはできない。未来において何かになろうとする欲望は現在との矛盾で闘争となる。悟りを開きたいとか神の意志に従いたいというのも一つの欲望である。
解決
時間から離れ、真理を理解するにはどうしたらよいのか。思考の活動が静まり、努力の産物でない静寂があるときに永遠のものが出現するとクリシュナムルティは言う。条件付けが終焉したときに愛があるとも言う。あるがままのものは常に動いており、神や真理は一瞬ごとに生じる。逆説的だが精神活動が終わったときに限りない創造が生まれ、自我が終わったとき絶対の自由が生まれる。常に新しい実在を知るには記憶、信念などの条件づけは邪魔な足かせである。クリシュナムルティは真理に到るための訓練方法は説いていないが、彼の方法に近いものが完全に受動的な自己認識である。精神によって認識するのではなく、精神を認識すること。観念に目を向けず、観念を生み出す思考の過程そのものを理解することが彼の言う自己認識である。精神の働きの全体を見つめることで自我を支配しているものを理解するのである。ただし自我を支配したり終わらせたりする実体があると考えてはならない。根源的自我とか神を想定するのもまた、自我のよりいっそう強い働きだと彼は言っている。
クリシュナムルティは自己を理解することは関係を理解することだという。人は単独では生きられない。生きることは関係の連続である。関係の理解が人と生の問題を解決する。クリシュナムルティにとって真の関係とは愛の関係である。ここで言う愛は「嫌い」の反対の「好き」とは違っている。好き嫌いや損得の関係は孤立なのだという。そのような感情に基づいて関係を求めれば、対象が得られなかったり飽きたりしたときには関係を変えてしまう。「私」の感情、「私」の利益からはなれ、ひたすら自分の全体を委ねる愛のことをクリシュナムルティは言っている。愛こそ人と生の問題を解決できる。対立物としての敵をたえまなく作り出す思考によっては解決できない。
結論
思考は今まで人の問題を解決しなかったし、これからも解決できないだろうとクリシュナムルティは主張する。思考は部分しか見ないので、思考すればするほど問題は細分化され、複雑になる。理論を探求するのではなく事実を見つめること、部分ではなく全体を見つめることで問題が解決されるという。特定の問題の枠組の中では思考や努力や知識や諸々の精神活動がうまく働くことはあるが、クリシュナムルティが提示しているのは個々の問題の解決方法ではない。問題を生み出している枠組そのものを変える、本質的な生の変容の方法をクリシュナムルティは提示しようとしているのである。
現在の社会ではコミュニケーション能力が必要とされていますが、その本質は深いですね。
ダイアローグ(対話)の時には自己をよく観察し、湧き上がる感情を保留し、相手に投影していることに気づき自己認識を深め、無意識の自己と統合する。やはり・・・ 難しい・・・
これができたらどこでも通用するファシリテーションが可能ですね。
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京都2日目は枯山水の庭園を鑑賞しました。
南禅寺の庭園では「解脱」を成し遂げた後の庭と欲望と迷いの「六道」の庭がありました。
勿論ですが、違いが良く解りました。

海外の人は枯山水の庭園を鑑賞しながら瞑想している方が多かったです。
プロセスワークでは東洋と西洋の瞑想のそれぞれの長所、短所を把握していまして非常にグローバルな視点での「禅」という印象を受けます。
本日枯山水庭園を鑑賞しまして、私は直感的に「宇宙」を感じました。
きっと庭園で宇宙を表しているのでしょうね。
この写真は龍安寺の枯山水です。

やはり写真で観る庭園とは大違いでした。
そこには「言葉にできない・・」暗黙知的な知が表現されているような印象でした。
この庭園を観ていまして、無理に暗黙知を言葉にして「形式知」に変換した時点で「違ったものになるのかもしれない」ということも感じた1日でした。応援お願いします → 人気blogランキングへ1日1回クリックお願いします → FC2 Blog Ranking
今朝ニュース(ワイドショー)を観ていましたら、大場久美子さんが婦人公論で「パニック障害」に苦しんでいたことを告白したというニュースがありました。
コメットさんから観ている世代としましてはとても驚きましたね。
大場久美子さんのブログ「
大場久美子の”エトセトラ”」4月15日付けの写真をお借りしました。

パニック障害ですが、女性の方が多く発症するケースが多いみたいですね。
とても苦しいですが、この病気自体で死に至る(鬱を発症すれば別ですが)ことはほぼ皆無ですけど。
芸能人でも大槻ケンジさんや元YMOの高橋幸宏さん,また長嶋一茂さんなど多くの人が発症していますね。
人格障害ではありませんので、自らの病識はとても強いですね。
実は私ももうこのパニック障害とは30年以上共に暮らしています。
今ではたまにパニックが襲いそうな時もありますが、コントロールができるようになりました。
今日のニュースでは薬の副作用のことを言っていたらしいですが、薬も使い方ですね。
個々に差はあると思いますが、自分にあった薬でないと副作用が現れるかもしれませんね。
私もひどい時には頓服で飲むこともあります。それも稀にですが・・・
一般的に言われます、精神安定剤(マイナートランキライザー)ですね。
大場さんも言っておられましたが、渋滞の時に叫びたくなったり、動悸が激しくなったりしたそうですが、ほとんどみなさん同じですね。
本当にこのパニック障害自体も苦しいのですが、もっと大変なのは周りの人に「わがまま病」なとと誤解され、理解してもらえないことがもっと苦しいかもしれませんね。
このことは大場さんも言われていましたね。
私が初めて発症した時には小学生特有の単なる「我儘」と周りの人の大半がそのような見方をしていましたから。
その当時はこのようにパニック障害やパニックディスオーダーなどという病名自体なかったですからね。無理もないかも知れませんが、本人は地獄の苦しみです。
大場さんは自傷行為があったとありましたね。本来の純粋な神経症の人にはこれらはあまりないですから、負のループに深く巻き込まれ、相当な苦しみを味わったこっとと予想します。また鬱も併発したのかもしれませんね。
先日書きました森田療法が効果がありますね。本来は神経症の治療法ですが、現在のパニックにも十分適応すると思います。
恐怖や不安があっても「あるがまま」に行動する。
などの療法ですが、森田先生はこれを「病気」として見ないことを説かれています。
森田先生自らが今で言うパニック障害だったのでしょうが、これを克服されています。
面白いもので「この嫌な症状を取り除こう」と囚われたらこの病気?は治らないとされています。
私のコントロールと言いますのは、この囚われを無くし、あるがままで生活することです。
結果的に囚われてしまえば、いつでもまたパニックに苦しむことになると思います。私はこの症状で禅の修行を強制的に現世でさせられた(今も行っている)ような気がします。
私は現在パニックで生活に支障をきたすことはほぼ無くなりましたが、ただひとつ挙げるとすると高速道路の運転でしょうか・・・
私も初めて自らのパニック障害をカミングアウトしました。
恐らく私を知っている方が読まれたら信じられないかもしれませんね。
なぜなら生活には支障がないわけですし、現在では仕事の方も様々な企画、クライエントへのコンサルティングやカウンセリング、また講演、講習の講師として忙しく動き回っています。また夜には大学院での勉学を行っていますので、おそらく他の人よりバイタリティがあるように感じるかもしれませんね。
元来パニック障害を発症する人はエネルギッシュであると、よく言われます。
それを今後は逆に生かして行きたいと思っています。
最後になりますが、最近では「鬱」や「パニック」が公表され社会的にもメンタルヘルスの理解が進むような感じがします。
これらのメンタル的な不調は誰にでもかかる可能性があります。
自分でおかしいと感じたらインターネットで情報収集したり、早めに病院へ行かれることをお勧めします。
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最近疲れが抜けない感じがしまして、先日久しぶりにマッサージを受けに行ってきました。
私は自身でセラピーを行ったりしますので、いろいろなところでセッションを過去に受けてきましたが、
今回お邪魔しました「
ヒーリングルーム ヌチグスイ」ではロミロミやタイ式マッサージなどのセッションを行っていらっしゃいました。

最近ではアロマを使ったサロンが多くなってきていますが、どちらかというと女性向けで、美容と健康のためにというコンセプトで経営されているサロンが多いですね。
今回行きました「
ヌチグスイ」も最初のイメージは女性向けのサロンかな?とも思ったのですが、レイキなどもされておられましてセラピーを知っている方だと思いました。

私もレイキはサードまで行いましたし、気功も長年行いましたのでエネルギーのことをしっていらっしゃる方であることは察知しました。
今回はテクニックレベルよりメタスキルに感動しました。
プロセスワークで有名なエイミー・ミンデルが提唱しました「メタスキル」ですが、スキルの上位概念ということです。具体的には「あるスキルを使う人がそのスキル(テクニカルスキル)を使うときの気持ちの在り方」ということですね。
今回のセラピストさんはこのメタスキルがすごいと感じました。
ただマッサージで刺激される気持ちよさだけでなく、「癒される気持ちよさ」を味わうことができました。
以前このブログでもメタスキルのことは触れましたが、何事も「心をこめて、相手のことを真剣に思って行う」ことの大切さを再認識しました。応援お願いします → 人気blogランキングへ1日1回クリックお願いします → FC2 Blog Ranking